南三陸町土ブロックプロジェクト

東日本大震災では、津波が大きな被害をもたらすと同時に塩害土という何も使えないものを残しました。何も残らない場所に、その土地の土を使って建物を建てることは地域の文化の継承になるとともに、処理に困っている塩害土の利用にもなることから南三陸町土ブロックプロジェクトを立ち上げました。

なお、この活動は公益財団法人三菱商事復興支援財団、株式会社ラッシュジャパン チャリティバンクの助成を受けて活動しました。

活動

西戸地区防災倉庫

2013.3末

ワークショップも終わり月日も経った後、ボランティアの学生も連れて訪問させていただいた。そこでは仮設住宅の方に再び感謝されるとともに、子供たちも駆け寄ってきて再び交流することができた。また、訪問日に現地の方々が桜の植樹を行うところであり、見学させていただいた。
この話をいただくなど、この活動によって少しずつ交流の輪が広がり、今後につながる思いがした。

 
2013.1末

防災倉庫の全工事が完了した後、理事長山下、自治会長、南三陸町復興推進ネットワークが揃い、引渡し式を行った。その後、住民を集めてワークショップを行った。ワークショップでは、まず完成した防災倉庫の感想から聴き、その後まちづくりに活かせるかどうか検討を行った。
防災倉庫のある「切曽木地区応急仮設住宅」は、南三陸町の中でも一番に高台移転先が決まった地区である。現状から比較的近い位置の移転であるため防災倉庫は継続的に使用するであろうとのことであった。プレハブによる仮設住宅が多い中、自分たちの手によって温かみのある建物を作ることはいい試みだと思うが、今回のコンパクトな倉庫に於いても意匠設計、構造設計、土ブロックの配合・強度設計、現場管理等を行っていることから、人手も時間もない中では街づくりにつなげるほどの大規模なものは難しいだろうと意見が上がった。
しかし、結果として良い建物が完成したこともあるので、今後土ブロックによる街づくりなどのことが行われる時には、再び技術的提供等を行う方向でまとまった。

 
2012.10末-2013.1

人手不足や天候不順により作業できなかった日もあることから土ブロックの制作が完了したのが10 月半ばにずれ込んだものの、直後の10 月末から建設地にて土ブロックの積み上げを行った。約10 ㎡ととてもコンパクトな防災倉庫ではあるが、その建設方法は一般的な建築と同様の手順にて行った。 なお、建設には当法人以外に現地自治会長と関係のある現地職人、南三陸町復興推進ネットワーク、愛知淑徳大学の学生、アトリエ・天工人らが参加した。

①まず、建設地は既に整地・基礎打ちまで終了していたことから、土ブロックを積み上げる基準取りのために「墨出し」「水糸」を張った。

②その後、夏に制作した土ブロックを一つひとつ丁寧に並べていった。日によって作業人数は異なるものの、一日平均4 人、60 個前後のペースで積み上げた。

③積み上げの途中に現れる、入口と明かり取りの窓については、仮の木枠を組むことで開口サイズを確保している。

④途中の15 段積み上げたところから、屋根の小屋組(梁・桁)と緊結するためのアンカーを取り付けていった。

⑤全20 段、1464 個を積み上げ後に防水材を施工し、雨風や雪などからの影響を受けないようにした。

⑥躯体完成後、地元大工の手によって小屋組の加工・取り付けがなされ、同時に仮の木枠を取り外して本窓枠を入れ込んだ。ほぼ完成したことから看板・鐘を取り付けて落成式を行った。

⑦その後、屋根に防水としてルーフィングを行い板金を葺いた。その際倉庫を見た屋根葺き職人が、当初は簡易な噴き方を予定していたがそれではもったいないということになり、より複雑で見栄えのする噴き方に変更することとなった。

 
2012.8

8 月から建設地と約100m 離れた土地を借りて土ブロックの制作に入った。当団体としては、南三陸町復興推進ネットワークと協力してボランティアを募り、また切曾木地区応急仮設住宅の住民の方々にも土ブロックの制作をして頂くよう声かけを行い、制作活動をした。
活動の途中では住民の方々からバーベキューを開いていただき、親交を深めることが出来た。

 
2012.7末-8

7 月後半で現地などと打ち合わせを行うとともに、関東にて準備を進めた。土ブロックの型枠は図面を作成したアトリエ・天工人によって制作した。また、土ブロックの材料として土(戸倉地区で採取)、水、砂、砂利、酸化マグネシウムが必要であり、その配合は前述の輿石教授及びアトリエ・天工人によって導き出された。

 

2012.7

南三陸町復興推進ネットワークが建設地を募集していたところ、宮城県本吉郡南三陸町戸倉西戸の切曾木地区応急仮設住宅の自治会の方から応募があり、7月に打合せを行って建設地を決定した。その際、作成した模型を見て頂いた結果、漁師用ではなく防災用の倉庫にして欲しいとの要望から変更したものの、建物形状は基本的にこのまま進めることが決まった。

 
2012.5-6

南三陸町復興推進ネットワークと打合せを行い、建設地は未確定であるものの、住民の方に提示するための図面・模型を作成することとなった。そこで2012年5月より土ブロック構法を用いた住宅の設計実績がある一級建築士事務所アトリエ・天工人を中心に設計作業に入った。その際、「ラボ」として設計事務所内に関東の各大学で建築を学ぶ学生(千葉工業大学、東京電機大学、東洋大学、早稲田大学)を募集してコンセプト案の図面や模型の作成をしてもらい、プレゼンテーションを行うことで、教育的意味合いを含める手法をとった。
学生が作成したものをベースにアトリエ・天工人が具体的な実施図面を作成し、構造設計を行う東京大学の佐藤特任准教授や現地の方、及川氏らと打ち合わせを繰り返してより最適なものを設計した。

 
2011末-2012.4

技術提供依頼のあった一般社団法人南三陸町復興推進ネットワークの及川氏が、不足している倉庫の建設を地域の文化・歴史の継承となる土ブロックによって行いたいとの要望から始まった。
建設地は未確定であったものの、これまで土ブロック構法を用いた技術提供を同じ宮城県内の歌津地区や女川町で行ってきたことから、土の採取及び材料実験を協力先である早稲田大学の輿石教授の下で行った。


おちゃっこクラブ

2012.6-8

6月に入り養生中の土タイルのチェックを行い、8 月から貼り作業に入った。施工後は地域にとって大切な、歴史ある獅子舞や太鼓を飾る場所となることから入念な貼り付け作業を行い、8 月20 日に竣工した。

 
2012.5

5 月から現地で土タイルの制作作業に入り、現地やボランティアなどワークショップを行った。

 
2012.3.-4

2012 年2 月に、土の採取及び材料実験を協力先である早稲田大学輿石直幸教授の下で行っい、その後、3 月-4 月は現地との打合せを行い、土タイルの形状や貼る位置を確定した。同時に、土タイルはこれまでの土ブロックとは形状等も異なることから試験体を作成して確認作業を行った。

2012.2

当初、宮城県女川町桐ケ崎地区で漁師のための倉庫作りを行う予定であったが、現地との話し合いの結果、代わりに同町の中心的役割である女川町地域医療センターの一角にあるコミュニティカフェ「おちゃっこクラブ」の内装材にと話がまとまった支援が始まった。

支援前のおちゃっこクラブの内装は、石灰石と女川の海から採った海水等を練って作った「漆喰」によって仕上げられており、この「海」と土タイルの「土」という自然のもので出来るのは良いとのことだった。

 

歌津迎賓館

2012.5.24

各関係者が一同に揃い、竣工式を行いました。その後、歌津迎賓館は南三陸町へ寄贈しました。

 
2012.5.14-16

養生期間を経て、5月14日~16日の3日間に土ブロック積みを行いました。

 
2012.4.15-20

4月15日~20日の6日間、チーム日光や現地の方々と土ブロックの制作ワークショップを行い、その後養生を施しました。

 
2011.11-2012.3

宮城県南三陸町歌津地区の住民のための集会所「歌津迎賓館」は、ボランティア団体「チーム日光」が中心となって計画を進め、建物形状は竪穴式となりました。
現地の土は粘土質であったことから強固な地面であり、その全てを手によって時間をかけて掘ったことから、どうにか活かしたいとの話になり、当団体へ話を頂いたのが始まりです。
建物本体は2011 年秋ごろに着手し、2012 年1 月20 日ごろに建て方工事、屋根工事までが完了しています。2 月に材料実験を協力先である早稲田大学輿石直幸教授の下で行い、3 月は現地との打合せを行った結果、内装材として土ブロックを使用することに決まり、その形状の選定や施工準備を行いました。